御祭神・由来
御祭神 | 葦那陀迦神 あしなだかのかみ |
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御神徳 | 五穀豊穣 |
由来 |
矢合神社は平安時代の法令集「延喜式」に記載されており、
鎮座する虎御前山は古くは長尾山と呼ばれていました。 虎御前山の尾根は南北に長く、 南尾根は別に「八相山(はっそうざん)」と呼ばれていたことから、 矢合神社は八相社または八相大明神とも呼ばれていました。 八相を「やはひ」と訓読することと、 昔は村民が盛んに射的を神前で行い、 多くの矢が行き合う「矢合」を以って社名となりました。 古くから水利に恵まれなかった地域で、 祭神の葦那陀迦神は葦の生じ易い水辺を司る神様、 世々開(せせらぎ)長者の「せせらぎ」は水の湧き出る状態を表す言葉から、 人々の水を獲得するための苦労とともに、水に対する感謝の心を偲ぶことができます。 |
御朱印 | なし |
その他 |
【虎姫の由来 虎御前伝説】
「虎姫」という名に秘められた、世にも美しく、はかない一人の女性の物語。 昔、長尾山(現在の虎御前山)の南東のふもとに桃酢谷(桃須谷)という場所がありました。 その入り口には井筒という泉が湧き出ており、 そのほとりに美しい姫が一人で暮らしていました。 名前を虎御前といいました。 虎御前の美しさは評判になり、結婚の申し込みが後を絶ちませんでした。 しかし虎御前は誰とも結婚することなく、静かな日々を送っていました。 ある日、旅に出た虎御前は、帰り道で日が暮れてしまい、道に迷ってしまいます。 そこへお供を連れた一人の若者が通りかかりました。 若者は中野に住む世々開(せせらぎ)という長者で、 丸山港から琵琶湖を船で渡って、大津や敦賀方面へと手広く海運業を営む商家の若旦那なのでした。 世々開は虎御前に訳を聞くと、快く家に連れて帰り、一夜の宿を貸しました。 それから、虎御前は世々開の屋敷で一緒に暮らすようになり、 二人は仲むつまじく幸せに過ごしました。 ほどなく、虎御前は身ごもりました。 二人はかわいい赤ちゃんの誕生を心待ちにしていました。 ところが、生まれてきたのは、顔以外はウロコに覆われた15匹もの小蛇でした。 虎御前は嘆き悲しみ、ある月夜、池に映った自分の姿が蛇そのものであることに気づき、 女性ヶ淵(みせがふち)に身を投げてしまいました。 世々開はたいそう悲しみましたが、子どもたちを立派に育てあげました。 子どもたちが成人する頃には、人間とまったく変わらない容姿になりました。 世々開はその子どもたちに辺りの15の土地をそれぞれ分け与え、治めさせたといいます。 これが虎姫が昔、15の村からできていたといわれるゆえんです。 こうして長尾山を虎御前山と呼ぶようになり、 明治22年(1889年)に町村制が施行されたときには虎姫村と名付けられました。 (資料提供:虎姫地域づくり協議会)
【おみくじと開運のまち 虎姫】
明治22年(1889年)町村制の施行により虎姫村が発足、 昭和15年(1940年)町制施行により虎姫村から虎姫町になりました。 平成22年(2010年)虎姫町は湖北町・高月町・木之本町・余呉町・西浅井町と共に長浜市と合併、 虎姫町は廃止されました。 ・展望台から望める虎姫田んぼアート(写真は2022年) 6月~9月頃 見ごろは7月下旬 山道は狭く対向車との譲り合いが難しいため、 なるべく虎御前山公園駐車場から徒歩で矢合神社・展望台へ向かってください。 ・虎御前像 ・虎神殿 阪神タイガースファンが訪れます ・虎の力水(平常時は止水) ・玉泉寺 おみくじの元祖として知られる元三大師の生誕地に建つ天台宗の名刹。 |
上記内容は掲載時のものです。詳しくは神社へお問い合わせ下さい。
お問い合わせ先
住所 | 滋賀県長浜市中野町1427 |
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電話 | なし |
ホームページ | なし |