御祭神・由来
御祭神 | 佐佐木大明神 ささきだいみょうじん |
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御神徳 | 少彦名神 子宝・安産・育児・蚕を飼育して絹の整糸・健康の良薬・酒類味噌醤油の醸造・農工業の諸道具の作成など 大毘古神 旅の安全・交通安全 仁徳天皇 家庭円満 |
由来 | 少彦名神は神様の指の間からこぼれ落ちる大きさで、一寸法師のモデルとされています。 大毘古神は四道将軍(しどうしょうぐん)の一人。 仁徳天皇は大和国から難波の高津宮へ都を遷し、国民の生活を眺め、炊事の煙が立っていないことを見て民の貧窮を知り、三年間税を免除、自らも倹約に努め、民の暮らしを立て直されました。 宇多天皇・敦實親王の子孫である佐佐木源氏は、平安後期の源氏の時代から近江国をはじめ全国十七余州の守護職にあり広く全国に居住する事になりました。 |
主な祭典・行事 |
【近江源氏祭(10月第二日曜)】
10月に佐佐木源氏一族の人たちが全国より参集して、これまでの感謝と、これからの平和と繁栄を祈ります。 【沙沙貴十二座の神事(4月第一土日曜・5月4日5日・10月第三日曜)】 近江の守護を務めた佐佐木源氏一族が武家を中心に祭祀の集団をつくり、表四座(おもてよんざ)・裏四座(うらよんざ)・若宮四座(わかみやよんざ)の沙沙貴十二座と称され、4月・5月・10月の年三回祭礼を斎行しています。 この祭礼は中世の「苗(みょう)」(姓名)を継承した馬乗(うまのり・各家の継承者)の神事です。 特殊な神饌をお供えして饗応(きょうおう)の酒席(しゅせき)が設けられ子孫の繁栄をお祈りしています。 特に4月の祭礼の宵宮祭(第一土曜)では、琵琶湖岸の葭(よし)で「大松明(おおたいまつ)」を作成して、水辺の町より沙沙貴神社まで、少彦名神さまをお迎えした勇壮な姿を継承しています。 【沙沙貴杜遊(4月・9月)】 沙沙貴杜遊(ささきもりあそび)は、人が集える場所であり、まちの活気につながるようにと、沙沙貴神社を拠点として年2回(4月・9月)開催されています。 詳しくは沙沙貴社遊の フェイスブックページ・ インスタグラムをご覧ください |
御朱印 |
有栖川熾仁親王が書かれた「沙沙貴神社」を、明治24年3月、三井家が諸願成就を祈念して奉納された大型の楼門額を版木に謹写し、御朱印に使われています。 源頼朝公御真筆「佐佐木大明神」を、源朝臣定綱公が物部清貞に造らせ、文治2年(1186年)7月28日に大願成就を祈念して表参道大鳥居の「額」として奉納されたものを版木に謹写し、御朱印に使われています。 |
その他 |
【佐々木姓発祥の地】
少彦名神の伝説からついた地名「ササキの庄」。 大毘古神のご子孫は、地名から「沙沙貴山君(特定の人物ではなく豪族の名称)」と名付けられとされ、蒲生・神崎郡に勢力を持ちました。 平安中期、宇多天皇の玄孫である源の成頼が近江国佐々木庄に下向し、孫の経方佐々木を名乗ったとされます。 佐佐木源氏は、平安後期に全国へ居住するようになり、佐々木姓が全国に170万余家、さらに枝分かれした京極家、黒田家、三井家、朽木家、佐佐木家、大原家、高嶋家、六角家、乃木家など一族は220余の姓名となり、350万余家に統計されています。 【干支の庭】 本殿裏に並ぶ十二支像。 【幸福の撫でカエル石】 石を撫でて幸福を祈ろう! 【なんじゃもんじゃの木】 見慣れない木を「この木は何じゃ?」と呼ばれているうちに「なんじゃもんじゃ?」という名前になったと言われています。 なんじゃもんじゃの木は特定の植物の種名ではなく、他の地域では犬桜や菩提樹などがなんじゃもんじゃの木と言われており、沙沙貴神社はヒトツバタゴで、花の見ごろは5月中旬。 この花びらは4枚に見えますが、実は1枚の花びらが裂けたものです。 【男岩(おのこいし)・女岩(おみないし)】 男性は男石から女石まで、女性は女石から男石まで目を閉じて進みます。 上手くまっすぐに進み、出会い・縁結びを祈ります。 |
上記内容は掲載時のものです。詳しくは神社へお問い合わせ下さい。
お問い合わせ先
住所 | 滋賀県近江八幡市安土町常楽寺1番地 |
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電話 | 0748-46-3564 |
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