御祭神・由来
御祭神 | 伊弉諾尊 いざなぎのみこと |
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御神徳 | ご縁結び 安産腹帯 まわり年厄除 |
由来 |
寺門伝記補録第五・三尾明神祠、及び古説によれば
三尾明神は次の如く言い伝えられています。 その昔、伊弉諾尊が長等山に降りられ地主神となられました。 この神は常に赤・白・黒色の腹帯をつけておられ、 三つの尾に見えたため三尾明神と名づけられました。 ある時、その腰帯が赤尾神・白尾神・黒尾神となられます。 赤尾神が本神とされ、 はるか昔の卯の年・卯の月・卯の日・卯の刻(午前5~7時)・卯の方(東)より 長等山の琴緒谷に現れたとされます。 琴緒谷とは三尾神社・園城寺(三井寺)周辺を呼ばれており、 昔、この谷を流れる清流に天人が舞い降り、 琴や笛を奏で舞戯、歌詠みし神を慰めたといわれています。 白尾神は文武天皇の大宝年間(701年~704年)の夏に 現在の三尾神社の地に出現とされています。 黒尾神は称徳天皇の神護景雲3年(769年)3月14日(第二の卯の日)に 鹿関(現在の長等小学校東側)に出現とされています。 三神とも御本体は一つで伊弉諾尊となっています。 近江国高島郡三尾明神の鎮座地は三尾が崎と呼ばれ、 養老年間(717年~724年)に道明・徳道の二僧が長谷寺の観音像を作ったが、 その像材が三尾が崎より流出して大津の浜に到着、 材木の上に三匹の子蛇が忽然と這い出て陸に登り、 西野山を望んで去っていったとされ、 それが三尾明神であるとも伝えられています。 この故事に基づき、 中保町の氏子中が藁で蛇を作り、 一年の悪疫退散をお祈りする祭儀を蛇打ちと言い、 1月に行われます。 貞観元年(859年)卯の年に園城寺(三井寺)初代長吏に就任した円珍は、 赤尾神を園城寺(三井寺)の鎮守として祀ることにし社殿を建立、 室町時代応永33年(1426年)足利将軍が現存の本社を再興、 慶長14年(1609年)には太閤秀吉により社殿の修理が行われました。 神社が現在地に移ったのは明治9年5月12日、 明治14年に郷社に加列、 明治22年には内務省古社保存資金下附、 明治43年に県社に昇格。 また、平成21年11月には本殿が滋賀県有形文化財に、 さらに平成26年10月には国の重要文化財に指定されました。 (資料提供:三尾神社) |
主な祭典・行事 | 蛇打ち(1月) 朝瓜祭(7月22日、23日) |
御朱印 |
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その他 |
三尾神社が卯の年・卯の月・卯の刻・卯の方より出現されたという言い伝えにより、
三尾神社では昔から兎が神様のお使いとされています。 神社のいたるところにあるうさぎを探してください。 |
上記内容は掲載時のものです。詳しくは神社へお問い合わせ下さい。
お問い合わせ先
住所 | 滋賀県大津市園城寺町251 |
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電話 | 077-522-3044 |
ホームページ | なし |