御祭神・由来
御祭神 | 少彦名命 すくなひこなのみこと 榾神 ほたがみ |
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御神徳 | 医薬 病気平癒 酒造繁栄 五穀豊穣 産業興産 吉兆の前触れ 村守り 木の神 |
由来 | 多賀の歴史は佐目の「縄文土器」から始まります。 |
御朱印 | なし |
その他 |
【十二の灯火】
夕暮れになると、写真のように「十二の灯火」と村の古老が呼ぶ明かりが点灯します。 木製の台座に電灯が12個ついており、戦後しばらくして作られたらしい。 十二柱の権現様を表す、もしくはお祀りしていた事を唯一語り継ぐものではないかと思われます。
【明智十兵衛光秀 謎多きルーツに迫る 多賀出身説】
「淡海温故録」と、500年密かに伝えられた「口伝」により、明智十兵衛光秀ゆかりの地・多賀として近年明らかになる。 ・明智光秀出身地?その1「淡海温故録(おうみおんころく)」 近江国(滋賀県)の地誌で、貞享年間(1684~1688年)に成立して彦根井伊家に献上されたと考えられる書物。 犬上郡佐目(佐目)の項目には『佐目に明智十左衛門が住んでいたという。 明智は本国美濃の者で土岐成頼に属していたが、後に成頼に背いて浪人して近江国に来た。 近江守護大名の六角高頼を頼ったところ扶助米を与えられ、二~三代もの間佐目に居住したという。』とある。 (8冊のうち三乾(第5冊)をもとに要約) ・明智光秀出身地?その2「見津五人衆(けんつごにんしゅう)」 伝説では明智光秀が佐目にいて、しばらくこの地に隠れ、五人衆が守っていたという。 光秀の「みつ」から名字を頂き、恐れ多いので「見津」と書いて「けんつ」と読んだと口伝がある一族が、現在も神社周辺に住んでいます。 ・明智光秀出身地?その3「十兵衛屋敷跡」 見津(けんつ)家では「柿木が目印となる場所に十兵衛屋敷があった」という言い伝えがあります。 ・明智光秀出身地?その4「神さん池」 見津(けんつ)家では「神さん池の水を使う時には、光秀さんに感謝しろ」という言い伝えがあります。 詳しくは佐目地区の販売所や多賀観光案内所にお問合せください。 案内冊子は各種販売所、通信販売 (公式HP)でお買い求めいただけます。 |
上記内容は掲載時のものです。
お問い合わせ先
住所 | 滋賀県犬上郡多賀町佐目472 |
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電話 | なし |
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