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大宝神社

daihou shrine

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御祭神・由来

御祭神

素盞鳴尊 すさのおのみこと
(天照大神の弟)
稲田姫命 いなだひめのみこと
(素盞鳴尊の妃)

御神徳

方除
厄除
健康

由来

大宝神社は、701年(大宝元年)疫病流行の時、
小平井村信濃堂(シナンド)(現在の栗東市小平井)に降臨された素盞鳴尊(スサノヲノミコト)と稲田姫命(イナダヒメノミコト)を
霊仙寺村(栗東市霊仙寺)経由綣村(栗東市綣)の地先、
追来神社境内に4月8日ご鎮座。

これにより疫病が鎮まったと伝えられる。
同年5月1日社名を大宝天王宮と勅定、正一位とされた。
鎮座の意は、「神社啓蒙」「和漢三才図絵」「牛頭天王暦編」等の書物に見ることができる。
翌2年から疫病が再び流行することを恐れて、健康を広く多くの人々に授かってもらえるようにと、
神様に感謝して4月初子の日を例大祭と定めた。

中世の大宝神社の祭礼、特に4月の例大祭・8月の相撲祭・雨乞い儀式は近郷50余郷の氏子圏に及び、
綣村生人講を中心に盛大に斎行されていた。

1716年(享保元年)7月宝鏡寺宮の親王の病気平癒祈願を大宝神社に依頼され、
ご祈祷により全快され、そのお礼として四脚門両築地付をご寄進された。
当初 は、桧皮葺きである1788年(天明8年)9月御室御所(京都・仁和寺)より紋章付提燈(桜の二引)一対のご寄進があった。(現在も使用)
1868年(慶応4年)3月王政復古により神仏分離令と共に佛眼寺(京都四条道場時宗金蓮寺末寺大宝山)との分離、
神應院の院号破棄により、同年4月社名を大宝神社と改めた。

主な祭典・行事
【奉納例大祭(5月4日)】



大宝元年、綣を中心とした広い地域に疫病が流行した。
人々はなんとか神様に疫病を鎮めて頂けるように願ったところ、この願いが通じて人々は健康をとり戻した。
翌、大宝2年から毎年疫病が流行する初夏に祭礼日を決め、
その日は神様を社から出てもらい疫病が広がっていかないようにみんなが健康で夏を乗り切れるように力を授けてもらおうとした。

【相撲祭(10月)】

相撲祭(そうもくさい)は、栗東北中小路と守山二町の水利権争いに端を発し、
その当時の神主が仲裁をして両村の子どもたちにすもうを取らせ円満に解決した故事に由来している。
双方の子どもは三番勝負をする。
それぞれが一勝して三番に入ると、途中で行司が「まった」と勝負をとめ「この勝負は、来年に預け置く」と声をかける。
神事すもうは、現在も同じ形で継承されているが互いを勝たせ最後に勝負を持ち越す方法は、
決着をつけずに遺恨を後に残さない先人の知恵の表れといえるのではないかと思われる。
御朱印
その他
【日本を代表する狛犬】

大宝神社の狛犬は鎌倉時代前期に作られたとされ、
木造神殿狛犬の中で最も有名と言われています。
明治時代に国宝に指定されたのち、
現在は国指定重要文化財に指定され
京都国立博物館に保管されています。
大宝神社型(岡崎古代型)の狛犬は、
日光東照宮の陽明門など全国に広がっています。
現在の本殿には大宝神社型狛犬のブロンズ像が納められています。

【皇族ゆかりの証】

四脚門や本殿周囲の壁には白い線が5本引かれています。
白い線は定規筋と呼ばれ、
定規筋が引かれた築地塀を筋塀と言います。
皇室に由来する格式を表しており、
その格式の高さにより3本・4本・5本の定規筋があり、
5本線は最上位を表しています。
5本線の筋塀は京都御所や二条城などで見ることができます。

【栗東八景 青麦の薫風】

境内には松尾芭蕉が詠んだ「へそむらの 麦まだ青し 春のくれ」の句牌があり、当時の神社周辺はのどかな田園風景だったと思われます。

【宝くじ参拝者増加中】

「大」きな「宝」を目指して宝くじ参拝者が増えています。
当たりたいと願ったり、当せんの報告も。

【大宝店から大宝神社へ参拝に行こう♪】



大宝神社の絵馬を ドリームボックス大宝店にて代理販売しております。
大宝店では筆ペン等ご用意しておりますので、絵馬にお願い事を記入し、大宝神社へご参拝ください。
また、店舗に飾られた場合は一定の期間の後、大宝神社へ奉納いたします。

上記内容は掲載時のものです。詳しくは神社へお問い合わせ下さい。

お問い合わせ先

住所

滋賀県栗東市綣7丁目5番5号

電話

077-552-2093

ホームページ

http://www.daihoujinja.jp